はじめに
※一信者の日記的記録なので公式とは関係ございません。
巡礼シリーズ第三弾!2025年5月8日~9日の巡礼記録です。
京都での経験と出会いが竜二の今後の人生に大きく影響を与えていたことが小説「永遠の京都」で語られています。竜二に第二の故郷と感じさせた京都の魅力にとは⁉

今回はNIさんとIさん達巡礼メンバーの記録を頂き、永遠の京都、ゆかりの地巡礼の様子を中心に代筆させて頂いてます♪
永遠の京都 余話 P11-・・・・・・・・
もしかしたら、この京都時代がなかったら宗教家になっていない可能性があるんですよ。その意味で、表に語られていないけれども神社仏閣が多い、日本の宗教の中心は中心はここですからーここに一年いたなかで何か学んでいるものがそうとうあって引っ張られてもいて、霊的にも引っ張られていると思います。
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宗教立国の精神P190・・・・・・・・
京都は、ある意味で、私の魂のふるさとでもあります。東京にいるときは、「常在戦場」、すなわち、いつも戦場にいるつもりで仕事をしていますが、ときどき魂を休めるために京都に行くのです。京都は瞑想的な所であり、自分の心の原点に立ち返るときに、よく行く所です。
本章では、「千年王国の理想について」というテーマを掲げていますが、このテーマで思
い起こすのは、やはり京都でしょう。京都には神社・仏閣を巡る際に、日本人の原点とも
言うべき信仰心に、かすかながらも触れることができます。
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巡礼概要
2025年 5月8日~5月9日の一泊二日
新幹線で京都駅→湖西線に乗って安雲川駅→道の駅、陽明園→藤樹神社→藤樹書院→JR和邇駅からシャトルバスで琵琶湖正心館→原曲研修「青春のなごり」参加。
→翌日 下宿先→詩仙堂→三条大橋の牛カツ屋さんで昼食→渡月橋
巡礼で主を感じる人が続出⁉
I講師が「○○○を見た時、主が見えた人が続出してるから、そこで主を感じてから、詩仙堂に行き、主を感じよう」という霊的な流れがある。
それが詩仙堂ツアーの意図なので、その2つは強調箇所になります。
※詳しくはツアーに参加する際にお話を伺ってみて下さい。
神の思い出=巡礼

楽曲「想い残し」の歌詞には「神の思い出を君と作っておきたかった」とあります。
その神の思い出=巡礼でもあると思うんですよね。法友達との神の思い出作りにもなる巡礼の記憶はきっと黄金の記憶になるのだと思います。
想い残しがないようにいざ出発――――(*’▽’)
京都の駿台予備校

まずは移築された京都駿台予備校が見えました。(京都駅ビル7階東広場のテラスでパシャリ!)
※京都府京都市上京区の堀川丸太町にある駿台予備学校 京都校は、西日本における駿台で最も古い歴史を持つ校舎です。大阪校(1981年開校)よりも早くから京都の地で受験教育を担ってきた伝統ある拠点
小説「永遠の京都」・・・・・・・・・・・・
竜二は兄に連れられて、堀川丸太町の京都駿台予備校を受けた。無事合格した。
(中略)
兄と暮らしたこの一年が、兄弟としての一番深い繋がりとなった。
京都は竜二にとって「第二の故郷」となった。
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竜二の英語学習に大きな影響を与えた村上先生や恩人の辻本先生との出会い・・・
・・・・・・・・・79~
入試が勉強の終わりではないことを教えてくれたのが、駿台の先生であったというのが、何ともいえない皮肉だった。そしてこれが、竜二が国際人になっていく原動力ともなっていったのだ。
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短詩型・挌はいく集③『神は詩う』
54 京都駿台のぞく 百年の歴史 知る人もおらず
2022・10・13
竜二を感動させた思い出の場所、京都 駿台予備校の食堂

カレーライスばかり食べていた竜二のために日替わり定食を取り置きしてくれた親切なオバチャンのエピソード。
人間に仏性があることの素晴らしさを感じた竜二・・
美しい思い出ですね・・・
永遠の京都 P99-101・・・・・・・・・・・
「〈中略〉オバチャンたちだって、少しは何か応援したいのさ。あんたのお母さん代わりに言ってるんだ。いつかきっと偉くなってよね。オバチャンたちのことは忘れてもいいから、京都駿台で、一ヶ月カレーばかり食べていたなんて、情けないことは言わないでおくれ。」
竜二「ありがとうございます・・・・・・。」
竜二の眼から二筋の涙が流れた。〈中略〉何だかとっても嬉しかった。お互いに、名前も知らないのに、相手のことを思いやる心って、何て有難いのだろう。それにしても、人間に仏性があるって、こういうことなのだろう。
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※フロンティアホールに食堂がある。
全国の駿台の中で食堂が残っているのは京都校だけである。
駿台予備校を見ながら餃子を食べる

京都駅で餃子を買って腹ごしらえ
NIさん 「餃子美味しかったよ!駅のテラスから京都駿台を見ながら食べたのでなお一層美味しかった。今度また行くときも、かならず買いたい」

餃子といえば、小説に餃子の王将が出てきてましたね!
永遠の京都 P86~・・・・・・・・・・・・・・・
兄弟で『餃子の王将』によく通った。餃子一人前六個で百十円だった。
(中略)
『王将』の「餃子」と「レバニラ」を食べると、睡眠時間が短くとも頭がシャキッとしていることが判った。
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スタミナ食効果でしょうか(*’▽’) 勉強する人の見方⁉
ニンニク入っていたのかな?楽曲「ニンニクマン」を思い出します(笑)
道の駅「藤樹の里あどがわ」
中江藤樹神社に行く前に、道の駅にも寄り道♪
駅から神社まで徒歩15分 書院まで21分 結構歩いた記憶。
荷物は軽めがお勧め。駅にコインロッカーはないです。
ここは口コミも好評。お昼はここで食べてもいいかもしれません。
私達はソフトクリームを食べました。
隣接のコンビニに地元産物も売っていました。
道の駅「藤樹の里あどがわ」にある、”藤樹先生孝養像”
MUさんから提供頂きました!感動するエピソード・・・


※少年時代の中江藤樹(藤太郎)が、母親の手のあかぎれを心配して薬を持ち、遠く離れた大洲から歩いて帰郷した場面を表しています。「近江聖人」と称えられた中江藤樹の原点である、母親への深い親孝行(孝養)の精神を伝えています。
泣ける><
陽明園→藤樹神社へ

中国から持ってきて作られた庭園。草花が今は乏しいと聞き、見るのをやめました。
※滋賀県高島市安曇川町にある藤樹神社のすぐ隣には、中国式庭園「陽明園」があり、その北側に「陽明門」が、東側には「藤樹門」が設けられています。
日本陽明学の祖・中江藤樹の生地である高島市と、王陽明の生地である中国浙江省余姚市の交流を記念していて敷地周辺には藤樹神社本殿のほか、藤樹書院跡や中江藤樹記念館などが揃っています。
陽明学とは
この陽明学という教え、中国の王陽明という人が説いた教えがありますけれども、その知行合一の教えというものは、実は中国的に表れたる仏教そのものであったということです。
正しい教えというものを知って、それに則った生活をして実践していくということが陽明学の本質でありますから、これはまさしく、仏教の根本と同じであり、それが違った形で出たということになります
新・心の探求 (旧版) P43

街路樹は藤棚、その下に菖蒲が咲き、中江藤樹の数々の言葉が刻まれている板がありました。それが街道沿い等間隔で設置されています。地域の方々から藤樹が敬愛されている証ですね.
藤樹神社
実はIさん達巡礼メンバーが藤樹神社と書院に寄ったのは、四国徳島の巡礼+原曲研修に参加した際にNOさんのお話から高島市にホツマツタヱのコピーがあることを知って、琵琶湖に行くなら絶対に行きたいとその時から思っていたそう。

鳥居をパシャリ‼
御祭神 中江藤樹 1608~1648
生年月日 慶長13年3月7日(1608年4月21日)
出身地 近江国高島郡小川村(現在の滋賀県高島市)
没年月日 慶安元年8月25日(1648年10月11日)
大正11年 県社として創立
寄付者は日本全国、中国、朝鮮まで及びました。
なんと・・・鳥居の社額は東郷平八郎が書きました。
東郷平八郎といえば、箱根巡礼レポートで訪れた箱根本宮に祀られている箱根大神と関係が深い桃の神…またホツマツタヱの神々と関係の深いお方|д゚)
〈鬼学入門、源頼光の霊言を読んでみてね〉
中江藤樹とは

中江藤樹とは、近江聖人・日本陽明学の始祖とされ、江戸時代初期の儒学者です。
※「人はみな天地の子」という言葉は実にホツマツタヱ的な表現です。
中江藤樹ゆかりの地の近くでホツマツタヱが発見されているので、中江藤樹はホツマツタヱを知っていたのではないでしょうか?

東郷平八郎だけでなく・・佐藤一斎まで・・・(上記の画像をお読み下さい)
佐藤一斎とは

江戸後期の大儒学者。美濃岩村藩士。三十四歳で朱子学・林家の塾頭となる。その後、幕府から昌平黌儒管(総長)を任命されて朱子学を教えつつも、知行合一を説く陽明学に傾倒。主著「言志四録」など。
心を練る 佐藤一斎の霊言 まえがき抜粋・・・・・
佐藤一斎は、反射的に情報をとる時代が、機械によって人間が奴隷化される時代でもあることを看破した。逆に言えば、「心を練る」ことによってのみ人は機械文明の支配を脱し、光の存在としての自覚が持てることを教示した。
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佐藤一斎が霊界から送る「新・言志四録」➄・・・・・・・・・・・
人工知能を持ったロボットが人間の代用をし、次は人間を奴隷にする時代が来るだろう。
この流れは必ずな。それは何かを見失ったからさ。
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P149・・・・・・・・・・
今、新しい時代を立てるための下準備に入っている
佐藤一斎 ただ、「始まりに中江藤樹を置いて、最後に佐藤一斎を置いた」ということは知っておいたほうがいい。
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日本の孔子的存在でもある佐藤一斎はインターネットやSNS、AIに辛口コメントをされていました。
便利な機械は人間の知性や創造性を損なう隙になるということが分かりましたね・・・一読をおススメします。佐藤一斎もまた中江藤樹と同じく紫の光の系統のお方だった・・・・。
以上余談でした。

藤樹神社の藤棚
記念館(中江藤樹・たかしまミュージアム)はリニューアル改装中で見れないので、藤樹書院に行きました。
藤樹神社→藤樹書院まで徒歩7分

藤樹書院付近の街道は脇に小川が流れていて鯉が泳いでいます。
中江藤樹の名前の由来
中江藤樹の家の横に木があり、そこに藤が絡みついて見事だったそうです。
その木から藤樹という名前になったそうです。
そして、その木はつい最近迄あって、シンボルだったのに、道にせり出しているから行政から伐採命令がきて、なくなってしまいました。
その話しを藤樹の生家のガイドさんから聞きました。
木に絡みつく藤ってどんなのか?
琵琶湖正心館から京都に向かう道中、5月だからその光景があちこちに見られました。
木に藤の花がクリスマスツリーの電球のように絡みついて、藤の木に見えました。
余談 菖蒲とホツマツタヱについて

菖蒲といえば、ホツマツタヱ1アヤに「あやめにちまき」と記述されています。
1アヤには子供の成長を祝う数々の風習が伝えられていまして、
5月5日には菖蒲を飾り粽を食べることが伝えられているのです(^^)
こうした風習も実は日本ルーツであったことがホツマツタヱを読むと分かるんです
藤樹書院跡・良知館(滋賀県高島市)

藤樹書院で記念撮影♪
中江藤樹が開いた私塾。一九二二年に国の史跡に指定されました。
中江藤樹の生家について
生家は一度火事になったが、弟子や町人が火の中に入り、守るべき物を運び出したので、家の物が残り、再建ができたという。


室内を拝観。掛け軸と中江藤樹の像

藤樹規
中江藤樹の教えとは・・

致良知・・・・・・・・・・
陽明学では「良知」は誰もが生まれながらに持っている「愛敬」の心であり、致とは「良知」を常に意識して、言動に現れるようにすることということです。人が人らしく生きられるのは「良知」の働きによるものなので、つねにそれが十分に働くようにしておかなければならないという教えです。
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「五事を正す」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
貌・言・視・聴・思
・貌(ぼう) 和やかな顔つきで人と接し
・言(げん) 思いやりのある言葉で話しかけ
・視(し) 澄んだ目で物事を見つめ
・聴(ちょう) 耳を傾けて人の話を聴き
・思(し) 真心を込めて相手の事を思う
「致良知」のためには、私欲やこだわりを除く「誠意」が大切で常にそれを意識することが必要であるということです。藤樹は、様々な出来事は、人の五つによるものであり、いろいろな人との出会いの中で「和やかな顔、思いやりのある言葉、相手をやさしく見る、本当の気持ちを聴き、思いやる」こと、つまり、五事を正すことが大切であるとしています。
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素晴らしい教え・・・心に刻みます!!!

藤樹書院の扁額
良知館

藤樹書院を見学後、お隣に建つ「良知館」へ
藤樹生家見学中ガイドさんのお話
中国人がここに来て、「やっと陽明学の話ができる。本国で話すと命が危ないから話せない」と喜んでいたと。「どの宗教も同じです。仏教もキリスト教も儒教も、陽明学も人の心から心へと伝わっていくのです。」とガイドのおじさんが話して下さった。心の一つを発見できた感覚になり、嬉しかった。とても重要な事、失ってはならない観点。AI時代、心が失われる時代だからこそ、ガイドさんのメッセージが染み入ります。中江藤樹から徳を感じた。
建物は質素、昔ながらの日本家屋だけど、多くの人によって心から心へと語られ、精神を守ろうとしてきた心が、土地の磁場に残っていた。そのバイブレーションをNIさんが感じ取り、巡礼する意味を体感して、つながったと喜んでいた。案内のおじいさんにドラゴンハートのチケットを渡した。孫にあげると喜んでくださった。お土産に中江藤樹の「翁問答抄」を買った。高島市の小学校の教科書として中江藤樹の教えを一冊を学ぶそうです。これとても大切。まだ救いの地があった。お目当てのホツマツタエのコピーは記念館が工事中で見れなかった。そのかわり、発見された神社を教えてくれました。三つの神社からホツマツタエが見つかった。ホツマ文字が刻印してある石が神社の境内地の階段に使われていた。
中江藤樹・たかしまミュージアムには発見されたホツマツタヱが保管されている!!!
滋賀県高島市安曇川町で貴重な文献「和仁估安聡本 ホツマツタヱ」が発見され、今、再び注目されています。中江藤樹・たかしまミュージアムに保管されています。


(画像は下記のリンクから拝借しておりますm(__)m)

ホツマツタヱのコピー写真



中江藤樹・たかしまミュージアムに保管されているホツマツタヱのコピーの写真です。
長い年月、酷い弾圧からひた隠しにされ、表に出すことが出来なかった秘史・・
なんだか泣ける・・(>_<)
貴重な古文書を焚書から守り抜いて下さった先人たちに深く感謝申し上げます。
これらの写本コピーの写真はMさんのご友人に提供頂きました。
誠にありがとうございますm(__)m
注目!!!ホツマツタヱゆかりの神社
✔与呂伎神社(よろぎじんじゃ)
御祭神:小森神・勝手神
〒520-1221 滋賀県高島市安曇川町青柳
中江藤樹・たかしまミュージアムから徒歩10分以内の場所にこの地域最古の神社与呂伎神社があります。
『ホツマツタヱ』の中でも語られる子守神を祀る神社
✔日吉神社(万木城跡)
御祭神:瓊瓊杵尊
〒520-1212 滋賀県高島市安曇川町西万木783
万木城跡に建つ「日吉神社」ここから『ホツマツタヱ』全40アヤが発見されました
(中江藤樹・たかしまミュージアムに保管)
✔水尾神社(滋賀県高島市拝戸)
野々村さんの曾祖父(水尾神社の神官)が、近隣の神社で見つかった謎の文書を「これは大事なものだ」と直感し、宝物として蔵へ戻しました。それから一世紀近い沈黙を経て、昭和40年代。
(下記リンク、果てのメディアから引用)

中江藤樹関連・参考霊言

中江藤樹の霊言 P120~123総裁先生のご解説・・・・・・・
中江藤樹として地上に出た部分は、確かに、魂全体のなかでは、触手の一本ぐらいで、非常に限られた部分のように見えます。本来は、もっと、オールマイティーなものをお持ちであると感じます。(中略)
「日本の草創期の神」ということであれば、ある意味で、最近の霊査が当たっているのかもしれません。(注。中江藤樹は天御中主の神の魂の兄弟の一人であることが判明している)
・・・・・・・
王陽明 自己変革への道 121・・・・・・
エル・カンターレと王陽明の考え方はほとんど同じ
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天台智顗 国之常立神という過去世が次男の乗っ取りなのではないかと思う。
ここでは王陽明はエル・カンターレ系とハッキリ仰っている。
中江藤樹は天之御中主神の分霊という事で、三男の過去世は主によって撤回されたから、
エル・カンターレ系ということかなと思う。
次男、三男の乗っ取り、仏敵である天智天皇を覆す一言かなと思ったわ。
ホツマツタエから解釈したら、繋がるのかな?と思ってね
(Iさん談)
中江藤樹の霊言に「天御中主神」が出てきました。
藤樹神社の雰囲気や中江藤樹の教えの中身、そして藤樹記念館(中江藤樹・たかしまミュージアム)に天御祖神の日本神話であるホツマツタヱが保存されています。
このことからしても、中江藤樹はホツマツタヱで語られている天御中主神とご関係の深い魂の方だと分かります。(それにIさんの言うように、妖怪問題の露出で天御中主は三男のなりすましであることが分かりますよね⁉)しかも、ホツマツタヱによると、天御中主神、国之常立神は天御祖神の分霊です。
仏言としてもお言葉をいただいております
仏言としての天御中主神、国之常立神と天御祖神の関係について
「(天御祖神の)分霊の扱いで天御中主神が出てくるのです。」
(日本神道的幸福論)
少し矛盾するように見えるとしつつも、
「国之常立神が、天上界に還って天御中主神になったというふうな記述もある。」
(天御祖神の降臨)

ヲシテ文献ミカサフミ タカマ成る文「アウワ 現る ミナカヌシ」
・・・・・・・・・・・
空 動きて 風となる 風 火となれば 地もまた 水 埴となる
この五つ 交わり生れる 神人は アウワ 現る ミナカヌシ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ミナカヌシ (真中主・御中主)
地球に現れた最初の人間の名で、クニトコタチ(国之常立神) の元祖です。
記紀では 天御中主と記されます。ミナカ は マナカ(真中) の変態です。“アウワ 現るミナカヌシ” とありますから、ミナカヌシは 創造神 アメミヲヤ の直接の顕現と考えられていたようです
アウワとはフトマニ図の真中に坐すアメミヲヤ・アメノミヲヤ(天御祖神)のことです。つまり、“アウワ” 現るミナカヌシ は
「アメノミヲヤが地に顕現したミナカヌシ」 という意です
ホツマツタヱを勉強して、本当の天御中主神、国之常立神の正体を学ぶことは大事なことだと思います。しかしまぁ・・妖怪の信仰の乗っ取りと利用、なりすましはえぐいもんがある
大問題!!!時の政権により歴史が都合よく塗り替えられてきた

妖怪問題、信仰のすり替えや古代史の改変といえば、古事記史観。聖徳太子の仏教路線から変わり、古事記史観を推し進めてしまったのが大化の改新と明治維新です。
大化の改新で出てくる有名人物といえば、中大兄皇子と中臣鎌足。
白村江の戦いで敗れてしまいましたがその後しばらくして天智天皇に・・
その天智天皇の娘が、女神アマテラス信仰を立ててしまった持統天皇です。
天智天皇は次男、その弟の天武天皇は次女そして持統天皇はSさん。
そして明治維新では国策として廃仏毀釈が行われ、仏教は大弾圧を受けました。古事記史観をベースに日本神道の神社だけが国家予算で建てられたといいます。
これをやったのが木戸孝允と大久保利通だそうです。また伊藤博文もしかり・・
こちらは次男と次女だと霊査されていましたね。伊藤博文はSさん。
ホツマツタヱとはまったく違う歴史史観を日本に植え付けてしまった時の権力者達は今生まれ変わっているようですが、こういった方達を含め、今生かされている私達日本人も同じ共業を持っています(号泣)カルマの刈り取りのためにも回心し、歪められた歴史を元に戻して正しい歴史認識を取り戻さないといけないのだと思います。
小説「遥かなる異邦人」P84・・・・・
日本には、天御祖神の流れを引く富士王朝と、日本神道の源流となる教えがもうありました。
・・・・・・・・・・・・・
天御祖神神道、ホツマツタヱ史観が復活しますようにーー!
明治維新で強国のための開国は良かったと思うのですが、仏教弾圧はまずいですね。
余談 悟りにいたる道 P75

ホツマツタヱを改編して根本仏(天御祖神)を削除した上に仏教弾圧も・・えぐい(・_・;)
日本衰退の根本原因・・
本当の国之常立神はホツマツタヱを勉強すれば繋がる
ホツマツタヱ史観では天御祖神の分霊の扱いで天御中主神が出てきていて、国之常立神が、天上界に還って天御中主神になったとすると、記紀神話の次男の国之常立神説は本当の国之常立神ではなく、正体は国之常立神のふりをしていた妖怪ぬらりひょんであったということになる⁉


※だから、「もし、真理が隠者によって説かれても、封印されて洞窟のなかで眠っていたら、千年二千年と出ることはない」ということだね。
ホツマツタヱが封印されたと暗に伝えられているのでは?
とIさん談
するどいーーー!!!私もそう思います。
朱子の霊言から見えてくる天御祖神の系譜


上記の朱子の言葉をお読み下さい。(マーカー部分が特に重要)
✔天御祖神の分霊である天御中主神と国之常立神(ホツマツタヱ史観)
✔天台智顗
✔王陽明
✔中江藤樹
・・・・・・・この考察するところによると・・・|д゚)
皆さんも考察してみてくださいね・・・・
いやーーーーーーこれは中江藤樹からますます目が離せません!!!!
余談 ホツマツタヱ史観と中国、盤古は天御祖神
そういえば、ホツマツタエでは、中国に渡った1人がいましたよね。
西王母(せいおうぼ)大陸の西の果てにある崑崙山(こんろんさん)の話に繋がる方。
王陽明と中江藤樹を慕い、中国と日本で唯一、一つになれる起点って、陽明学からホツマツタエなんじゃない?と思った。
天御祖神から世界に文明が作られたこと。中国から日本でなく、日本から始まったこと。中国で教科書に出てくるのが天帝、盤古ですものね。この地に来て、やっとその意味の深さを感じました。
日本神道を元に戻すことの次は、陽明学の繋がりから、天御祖神とホツマツタエを伝えて、同根のルーツを意識することで調和に向かうのかな?と感じたわ。
孔子の怪刀乱神を語る、では、孔子は他の星に飛ばすと見切られていたけど、まともな中国人は天御祖神に帰依して、飛ばされないようにしたいですものね。
(Iさん談)
陽明学と深いかかわりのある藤樹神社の場所に近いところからホツマツタヱが発見されましたし、現在保存されている場所も中江藤樹・たかしまミュージアム。この意図するところとは!?
カの尊は日本から中国へ。カの尊の子孫の西王母

はじめてのホツマツタヱ(天) 今村聰夫 (著) より
八皇子のカの尊が中国を開拓し、カの尊の子孫が西王母
クニトコタチの八人の皇子たち(ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ)のカの尊です。
上記に第七代天神のことが書いてありますね。鬼学入門P313によると、桃の神(オシホミミ)と関係するようで・・・
皆さんも色々と調べて主の教えとホツマツタヱの繋がるところを考察してみてください。
何か分かったら教えてくださいね(笑)

短詩型・挌はいく集③『神は詩う』
41 『永遠の京都』書き終え 中華を食べる 打ち上げ淋し
✩ジョン・レノンの愛した店に二回目。今は飽食して苦しいだけ
2022・8・19
永遠の京都を描き終えて「中華」を食べたのには中江藤樹の陽明学と関係あったりして??
琵琶湖正心館

和邇駅で琵琶湖正心館の送迎車に乗って琵琶湖正心館に着くと、トンビが飛んでピーヒョロと鳴声。(Iさん談)
巡礼メンバーさん達を祝福してくれているようですね。


四季禅について

美の法門と非常に親和性のある琵琶湖・・・
琵琶湖正心館には四季禅の参究手引きがあります(ご教示が掲載されてる)
心を取り戻す「四季禅」の実践に、琵琶湖正心館に直接参拝し、体感されてみて下さい。
原曲『青春のなごり』研修
原曲研修が心を取り戻す研修になっているということが法談からも伝わります。

「青春のなごり」は2回目は琵琶湖で受けて、やっと白い雪溶けの意味が見えてきた感じ。京都巡礼を通して、駿台で左翼史観ではない先生が教えてくれた歴史の内容、また歴史を幻視されていたと思うと、主の詩仙堂での決意は、受験の失敗、天狗性の反省だけでなく、歴史から未来の日本のあり方など、色々感じているものもあったのかもしれません(Iさん談)
原曲「青春のなごり」法談抜粋
A 感想としては、やっぱり人の気持ちが分からないとだめなんだと。先生、法話のなかで言われていたんですけども、その部分がメインかなと。誰にでも挫折はあるんですよ、いろんな形で。だけど、やはり先生と普通の人は対処の仕方が違ってくる、それによって、その後が分かれていくんですよね。先生は情がないとだめだって言っていたじゃないですか。それは弟子に対しても同じような感じで言われたのかなと。だから、弟子のほうも、自分をそういうふうに見られているとちょっと違ってきちゃうし、お互いに理解しきれない部分というのがあったんじゃないかと思います。だから、いろんな形であるんだけど、その都度、どういうふうに立ち直っていくかというのは一つの視点かなと。今日は、この研修は二回めだったので、そういうふうに思いました。
B 裏、妖怪性の強い人たちって、成果、過程じゃなくて成果主義じゃない。でも、先生は過程をすごく大事にされている。その過程のなかで、挫折して心のひだを作っていったり、情の部分が分かるような人間になっていく。だから、妖怪性の打破みたいなところが、この歌には入っているのかなって思ったんだよね。で、愛があったかっていうところ、それは単に恋人じゃなくて、人々に対する愛というものを発見できたってことかなと。隠れていた恋人の名前とかは、擬人化しているけど、そういうことじゃなくて、挫折したりしながら、日々努力を重ねている、だけどその一方で感性の部分とか情緒的な部分もしっかりあったんだろうなって思った。あと、最後の「僕の心だけを置き去りにはさせないでくれ」の神話のところが、やっぱり、ほら、仏像でも心、魂が入ってないとただの置物じゃない。ある意味、心が全てじゃない。先生の心のなかで私たちも生きているわけだし、その心置き去りにするっていうのは、それは中身のない張りぼての何かみたいな感じでしょう。それは日本神道の過てる信仰観になるから、エル・カンターレ信仰じゃない。この歌はエル・カンターレ信仰に繋がる歌みたいに感じたのね。少しさびしげな綺麗な歌だと思っていたけど、違っていたね。
C たとえ大宇宙の根本仏であっても、人間としての、そのお姿を見させていただいて、自分も小さいながらも主に創られた存在としていろんな経験をして。今回のこの原曲を受けることによって、自分の感性がより磨かれて、少し悟りへの道が上がったような気がしたの。今日は中江藤樹書院、あそこに行った時に、藤樹先生の思いがびっちり詰まっている、その思いがこういう仕事をするんだっていうのが分かったのよ、自分なりに。そのときに、私、踊りたい、踊りたいって言っていたじゃない。私、守護霊が喜んでいるときは踊り出したくなるから。だから、今日何か化学反応が起きる予兆を守護霊が感じていて、で、原曲を受けて、あ~繫がったって。自分なんか、原曲を紐解くのってとても無理だわって思っていたわけよ。コンプリしても、悟りも低いし、年齢もいってるしと思っていたけど。原曲を聞きながら、自分なりに紐
解くということがちょっとできるようになってきたというのが、今日あって。これから、まだまだ同じ曲を深めていくということがすごい大事だし、本当に原曲というのが新しい修行スタイルとして主が残してくださったものなんだと、今回腑に落ちました。
D 今回、天狗性を打破するために、転んで痛くなったわけですよ(笑)
先生は努力したわけですよ、法にして。俺は努力せずに二浪したわけですよ。二浪して、現役時代に入れる大学に入ったわけですよ。だから、もうそこで全然違うわけだ。今でもたまに総裁先生と同じ大学に入る努力をすればよかったなと思うけれど。ということで、今回のこの痛みも必要性があったと。(琵琶湖に来る二日前に転んでけがをしていた)だけど、研修を受けていて、ますます痛くなった(笑)自業自得っていうやつです。
E 今回で二回目で。前回、はっきり見えなかったのが、「半世紀も後のことだった」というこのフレーズ。ここの意味が「天才でごめんなさい」によって分かりました。
この半世紀後に認められるということの意味の重さってとても凄くて。それは「天才でごめんなさい」で、先生がお隠れになる直前に、やっと親から認められたって、草葉の陰からね、そこまでの意味だったなんて思いもしなかったから。この青春のなごりの、この青春に焦点を当てれば美しい詩集なんだけど、実際はすごく重いなっていうのを思って。
やっぱり自分と主の比較のところです。そもそもスタート地点の目指すところが違うから、感覚がいつも自分と先生のなかでずれ過ぎて、どこを自分は見習ってやればいいのかみたいなところがあるのね。勉強において、こう努力をし続けて、これをこうしようみたいな感じ、女だからあんまりないじゃないですか。男性みたいに、この世で功績を出してっていうのがあんまりないから、どっちかというと人を陰で支えるとか、そっちのほうの意識が強いから、ずっとピンとこなかった。だけど、愛する者のために頑張りぬいて、頑張りぬいて、その上での挫折でしょう。これって、愛のために先生は努力して勉強されて、自分のための勉強じゃないんだよね。
だから、人を愛するために努力して勉強して頑張ったのに、バーンって崖から落されるじゃないですか。そこね、頑張ってない人との挫折感と違うんだよね。
B 精一杯やってのだからね。
E そうそう。それが平凡な私みたいのからすると、半世紀過ぎたときに、その挫折が来て分かったわけよ。その意味合い。先生のスピードはもちろん救世主っていう高い目標があるから違うんだけど、こっちは中年になってガンってくるのが分かった。そこで、やっぱり天狗の鼻が折れて、人の傲慢さとか謙虚さってものすごく感じさせられるようなことが起きて。だから、今となって「永遠の京都」の挫折の意味が分かるわけですよ。でも、これが宗教にとってとても大切っていうのは実感していて。見えないんですよ、人の愛がそこまでならないと。毎日、お風呂に入れることがありがたいなとか、お風呂が温かいことがありがたくてしみじみと思うとか、そういうのって、ガーンと来た後ですよ。だから、やっぱりこれを経験せずには、宗教的に意味合いは分からなかったなって思うんで。だけどね、先生はそこからもう更に努力されるじゃない。そこは私はやってないから挫折のままって感じだから、そこをね、明日、永遠の京都巡礼の中で感じ取って、今後の自分を変える何かを掴みたいなと思っています。
F 初めて拝聴しました。醜いアヒルの子だって言っていたのが、「天才でごめんなさい」で、泥ガメと言われていたのに通じるなと思って。でも、そのなかで努力していたから希望と挫折とが戦って、歳月に耐えるってことができたのかなって思いました。やっぱり醜いアヒルの子だから、努力しなきゃと思っていた総裁先生は凄いと思います。自分が生まれた時から白鳥だと思っていたら努力しないので。で、神話だけが永遠に美しすぎるっていうのはどういうことかなって考えて。神話のなかには挫折がないですよね。日本神道なんかもそうで。
全員 そうそう、そこよね!
F もう素晴らし神様が降りてこられました。で、人々は幸福に暮らしました。終わり、みたいな。なので、ハッピーなんだけど、その陰でちゃんと努力しているよっていう泥臭い部分とか、人間の心のなかの悔しいとか、悲しいとか、苦しいとかいう嫌な部分があるじゃないですか。表には出したくないところ隠すから神話はずっと美しい。だけど、それを先生はオープンにして、小説に書いて、これを後世に伝えて欲しいって言っているので、これが本当の神話だから、後世への最大遺物っていうのは、神様が人間として生きて体験した思いを残すこと、それを私たちが受け止めて。私もこのように生きていったらいいんだなって見本とすることかなって思いました。で、僕の心だけを置き去りにはしない。させないでくれっていうのが、自分が人間として体験したことをみんなに知ってほしい、それをもうなかったことにはしないでくれって訴えているのかなって。神話だけが一人歩きしてしまう。で、自分にもちゃんと挫折があって、努力した結果、今、こうなっているんですよっていうのが見えなくなっていくのが悲しいのかなと。それと同時に、救世主で、地球神、宇宙神でドンドンステージが上がっていくので、やっぱり人間の心がある意味なくなっていく。神に近づいていくから、その人間の心を置き去りにしていく、主ご自身が、それも主にとって名残惜しかったのかなって思った。
法談は以上です。
琵琶湖正心館おススメ、巡礼コースのご案内
琵琶湖正心館が企画する原曲+巡礼です
【原曲『青春のなごり』研修&翌日 詩仙堂拝観プラン】
〈一日目〉
原曲「青春のなごり」体感研修
※小説『永遠の京都』を一冊ご拝受頂けます。(研修奉納に含まれる)
〈二日目〉
礼拝堂にて朝の祈りと四禅定
琵琶湖正心館出発、
詩仙堂ツアーへ
※琵琶湖正心館オリジナル「永遠の京都」巡りマップとお茶をお一人一本頂けます
他、琵琶湖正心館限定の小説『永遠の京都』オリジナルグッズも置いてあります
【詩仙堂拝観プラン】
琵琶湖正心館 車で途中越え40分 ※途中、三千院・寂光院近くを通ります
叡山電鉄 一乗寺 兄の下宿先付近 車で散策
詩仙堂到着(拝観料大人700円高校生500円小中学生300円)
拝観時間40分
詩仙堂出発→三条大橋 到着 車で途中越え含めて60分→琵琶湖正心館
※小説『永遠の京都』の表紙は三条大橋
バスで巡礼するにあたり意識した方がいいこと&アユハが便利


(画像は2022年12月号 No222 ARE YOU HAPPY?から一部拝借)
こちらの地図にある巡礼スポットは全部バスから案内されました。
映画館跡・京一会館跡は、現在はスポーツクラブになっています。
案内とともに一瞬で通り過ぎるので、巡礼する前の予備知識として巡礼スポットを勉強しておくと、見逃さずにより意識できますし、楽しめますのでおススメです。
(Iさん談)

▶ 通学ルート―予備校での鍛錬の日々
▶ 下宿先付近―竜二を見守った一乗寺という街
▶ 京都観光コース―妹・直子と巡った京都見納め旅
※こちらまだ買えるようなので売り切れになる前に是非手に入れておいてください。
※特に巡礼目的でお読みになる場合、デジタルでアユハを購入されると、スマホからも読めるので、巡礼しながら該当スポットやエピソードを確認できますしおススメです(^^♪
※個人の住宅街を徒歩で巡る際は目立たず、お静かに、大人数での集団行動など目立つ行動は控え、住民の皆様にご迷惑がかからないようご配慮下さい。(聖地を護るために必要なことです。)
二日目 永遠の京都巡礼へ
2025年5月9日
IさんによるMEMO↓↓
四禅定の後、永遠の京都巡礼に行く。ガイドは原曲の講師Iさん。
・高島市の歴史、琵琶湖の秘密、ホツマツタヱのことツアーだからこそ興味深い話しが聞けます。
・何故、エル・カンターレ像が桃太郎に見えたり、笏を持っているのか不思議でした。後に聖徳太子の寺院が日本一多い近江の歴史を紐解くと見えてくるものがありました。
・琵琶湖平静経のめくるめく諸行無常の中の美と事象を達観して見ている感じが心に残る
琵琶湖から京都に向かう道中の藤の花

琵琶湖から京都に向かう道中、藤の花が大木に絡みつき、それを見て、昨日の中江藤樹の生家の木はこんな感じかなと思った。藤の花も紫が濃くて、関東の藤と違う。アンドロメダとつながっているのではないかと思うほど。(Iさん談)
宝ヶ池

(画像は下記リンク えいでん より)

永遠の京都p74~・・・・・・・・
村上先生のご自宅は、叡電「宝ヶ池」を降りてすぐのところだった。
『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(三木監督)という映画で、重要な出会いポイントになった、あの「宝ヶ池」だ。
・・・・・・・・・・・・

洋食屋「サラリーマン」

P87・・・・・
近場の洋食屋『サラリーマン』も多めに使うようにした。
・・・・・・・・・・・・・
下宿先(叡電電鉄 一乗寺駅前)

「一乗寺」駅は下宿の最寄駅で下宿は線路沿いにある。
一乗寺駅の位置は、マンション(元下宿)から路線に向かて突き当り右を真っすぐ行くとあります。



下宿は今はマンションになった。
ツアー中ここで主を見る人が続出。主の臨在を感じてから詩仙堂に臨み体感を目指す
永遠の京都 P28・・・・・・・
竜二は叡電一乗寺駅そばの、西陣織をやっている家の二階の三畳一間で、
朝六時半に目覚ましもなく起きた。バス停の一乗寺下り松駅まで約五百メートル歩き、「5番」「36番」「65番」のバスに乗り、烏丸丸太町まで行く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
下宿の大家さんの子供は名古屋に住んでいて、主の下宿部屋のドアノブを大切に保存されていた。大家の子供に会員が出会って、大家の子供からドアノブの写真を送ってもらった。

↑主がお使いになっていた取っ手のイメージイラスト。
※リアルな写真は是非とも琵琶湖正心館行った時に確認してみてください
他、貴重なMEMO書きもありました。
主が18歳の時、詩仙堂に行かれた時期はツツジが咲く時期なので、5月なのか?ちょうど今の時期だ。私が行った時はツツジはまだ咲いてなかった。
「30歳までは自分作りの勉強に打ち込もう、そう思い続けていたのに、自分1人も助けられないのか、自分1人も生かせないのか。人様のお世話になったままお返しもできず終わってしまうのか」と主は考えていた。まさに今の私だ。
(Iさん談)
挌はいく集③ 神は詩う・・・・・・・・・・
45 (京都旅行)
『永遠の京都』のあとたどる 下宿先 マンションとなり存す 2022・10・13
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八大神社

剣豪、宮本武蔵ゆかりの地 八大神社 バスから見る
一乗寺下り松

MIさん提供、決闘場となった一条下がり松跡
永遠の京都 P34・・・・・・・・・
自分の下宿は、あの「一乗寺下り松」に近い。宮本武蔵が、吉岡清十郎、吉岡伝七郎兄弟を倒した後、門弟七十数名とたった一人で果し合いをし、その不可能な戦いに勝利した奇跡の場所である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩仙堂

永遠の京都 P34・・・・・・
鏡川竜二は、バスの到着駅「一乗寺下り松駅」を降りて、近場の「詩仙堂」を訪ねた。もうツツジの花が庭に咲き始めていた。縁側に座って、石庭や岩、樹木を眺めながら、「いかなるか、これ、本来の自己」を参究した。
・・・・・・
✔京都市左京区一乗寺門口町27
✔9:00~17:00(受付16:45迄)
✔075-781-2954

短詩型・各はいく集3 「神は詩う」・・・・・・・・・
詩仙堂 思いしよりも 庭美しきかな 2022・10・13
・・・・・・・・・・・・



石川丈山が造営
主が受験に失敗し挫折感の中、心を見つめたところ。とても美しい庭。静かな心になる。この磁場の中、私の今の挫折感を主のその時の挫折感と合わせて、主は何を感じ思われたのか感じようと瞑想した。今朝の琵琶湖平静経の宇宙観、移ろう季節と時代。その中の美と静かな心がこの庭にあり、感じていると、タイムマシンの歌詞が浮かび、「宇宙の中で自分の挫折は1つの点にしか過ぎない」その無常を感じた。ここはあの琵琶湖平静経とつながっているとわかった。きっと主もここで、宇宙の視点で今の自分を見ていたのだろう。 でも主の決意は大志。多くの人を愛し、恋人と決別した高校生で、意識が無我。そこが自分と全く違う。「自分を捨てよう」「何度も決意しないと」と思った。自分を捨てるとは何かと日々考えている。
(Iさん談)
永遠の京都 P37・・・・・・・・・・
「言い訳はするまい。自己卑下に逃げるな。生まれつきの才能に頼るな。
努力あるのみ。」
竜二は立ち上がった。やっと赤いツツジ、白いツツジに眼が届いた。
以後、こんな敗北は二度となかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



膏肓水の井戸
仏様へのお供え(閼伽水)としても大切に扱われてきたという。

詩仙堂ツアーについての法談抜粋
A 先生が道を決めたって「永遠の京都」に書いてあって、それを覚えていたので、それについて詩仙堂で瞑想していたら、龍がしゅっと立ちあがって、さあ、今から飛ぶぞ!みたいなイメージが視えました。道を決めると、その心のなかにいるドラゴンハートみたいなものが、前に進めるのかなっていう感じだった。詩仙堂の庭の風景が琵琶湖の水面みたいにキラキラして見えて、周りにある木とかも、なんとなくだけど、先生が瞑想されて道を決めるまではじーっと見守っていたのかなと思っていたのですが、先生がこの道を行くよと決めた時に、時間がまた動き出して、風が吹いて木が揺れているっていうようなイメージがしました。総裁先生がここで道を決められたので、私も同じように道を決めたいけどエル・カンターレに繋がる道が分からない。もー、分んないから連れてって!と思ったら、龍が出てきて「連れてったるわ」と私を前足で掴んで、飛んだ。私、吊られている状態で飛んでた。風がダイレクトに当たる~
B いろいろ溜まっていた、毒素みたいなものがすっーと流れ落ちた。(笑)ほんとほんと、すーっとね。詩仙堂で座っていたら抜け出た感じがした。でも、それだけではダメなんで、そこから何かを積み上げていかなきゃいけない。そういうことを講師にちょっと話したら、短期間でどんどん来てくださいって言われた(笑)
C 私もAさんとちょっと似てるんだけど、四禅定もね、なんかすごかったんだよ。
詩仙堂に行ったら、もう宇宙を感じちゃって、その詩仙堂で見ている風景が、朝の四禅定の琵琶湖の世界観と繋がっているのがわかっちゃって。琵琶湖正心館の朝瞑想で琵琶湖平静経、英語版と日本語版を読誦されてから四禅定に入ったから凄く入りやすかった。
川も風光明美なビジョンが出てきて、川の色が深緑、生誕館の四禅定で見た大歩危小歩危の川の色と似ていて深緑で川も深いの。それが龍に変わって、この龍は煩悩を流す浄化のエネルギーなの。浄化して平静心になれる。そして、自然の移ろいは勿論なんだけど、太陽と月の入れ替わりが凄く入ってきた。そして、主が天の窓を目指され、垂直に登る意味が分かって。その透明度と垂直に真っ直ぐ上るのは、この琵琶湖平静経の心の美しさだったのだと分かったの。その後詩仙堂に行って、主が瞑想した時の挫折感と自分の挫折感を重ねて感じようと瞑想したら、琵琶湖平静経の宇宙観と詩仙堂の宇宙観が重なってきて、その中で今の自分の悩みや挫折感が宇宙から達観して見えて、タイムマシンの原曲が蘇ってきたの。
主がお隠れになってから信者は挫折感や絶望感というかショックの中にいると思うけど、そこに捉われてるけど、宇宙から見たらそれも一点なんだなとなり、心が平静になり揺れがおさまりました。きっと主もこの詩仙堂で宇宙観の視点になられたのかな?と感じました
D 四禅定は前日のお腹の痛みの回復のために1ミリも記憶がございません(笑)
で、詩仙堂はあれだね、浪人時代の悲しみを癒していたんだろうなっていうのが凄い感じられて。なんていうのかな、もう本当に浪人生ってどこにも存在しないみたいになっちゃうんですよ。何をやっても実在じゃないみたいな。何も定まってないから、まだ。だから、なにやっても虚しいっていうかさ。でも、多分、総裁先生もそう。その中で凄い努力をされたんだろなっていうのが、私との最大の違いだな。やっぱり、凄いな。ただね、なんか寂しさみたいなのをすごい感じましたね。
E 今回、詩仙堂で思ったのは、川島町をまず巡って、浪人時代の京都、学生時代の東松原近辺、あとはトーメンに入られた後の雌伏館、その後の降魔成道館とか全部ありがたいことに行かせていただいて。主は普通なら肉体を持って生まれないのに、それを降りてきてくださって、実際に主がおられた場所に行かせていただいた。私はすごい恵まれているなと思いました。で、巡礼って、重ねるごとに信仰心が深まる。本当に信仰行為なのね。それで、今朝の四禅定は海外の方が導師だったじゃないですか。それが、世界宗教になったらこんな感じになるんだって思った。昨日、「青春のなごり」を受けた時の、その磁場の良さみたいなのを感じて、自分は何回も同じ原曲を深めるっていう修行がこれからあるかなって思って。巡礼ってやはり、あちこちに先生が埋まっているのよね。全国の信者、巡礼しようよって、世界宗教にするには巡礼なくしてはあり得ないと思ったね。
F 私は詩仙堂で、始原のパワーみたいなものを感じたんだよね。いろいろなものの始まりのパワーが地下水脈みたいなところからグーッと上がってきてるみたいな感じ。
先生、いろいろ考えられて、そして辿り着いた答えだろうけど、それに向かう時に、そういうパワーが及んでいたのかなって。だって先生、またあそこから始められたわけだから。ある程度のところまで辿りつくまでは、さっきAさんが言っていたように、周りの自然とかもじーっと見守っていて、そっちの方向に向かったときに、一気にその始原のパワーが先生のところに入ったのかなって、そんな感じがした。
哲学の道は過去の宗教家たちと魂のつながりが出来た場所

ビデオを探していたら哲学の道が!
上記の写真はバスの中から撮影しました♪
哲学の道迄の道中でジョギングとバッティングセンターでバッティングされていたそうです。
写真の王将は主が食べた王将ではありませんが記念に撮影
過去の宗教家たちと魂のつながりができる
寺社仏閣が立ち並び、史跡も多い京都。京都時代、大川総裁は、お寺や西田幾多郎が思索を深めた「哲学の道」などをよく訪れ、各地で風水的に言う「気」のようなものを感じ取っていたといいます。実は、霊的には、当時様々な過去の宗教家たちが大川総裁のもとに来て見守っており、京都で彼らとの「魂のつながり」ができていたはずだと明かしました。2025年4月号 ARE YOU HAPPY? 大悟地特集より
Are You Happy? 2025年4月号【特集】◎はじめての八正道 心の平安を保つ8つの極意◎大川隆法総裁の大悟の地 南東京をめぐる◎いつ始める? どう切り出す? 気になる実家の片づけ大川隆法総裁 【女性の幸福論】心のひだの作り方人間は恥をかきながら成長する
哲学の道を歩いたことでその地に縁がある霊人とご縁が出来る⁉
やはり、その場所(霊地)に直接行くことは大事ですね。巡礼の大切さが分かるエピソードです。

古い地図

なんと!MIさんから貴重な古い地図の画像を頂きました!
「永遠の京都」が発刊され、京都の方々がその辺を調べたときに、貰ったものの中にあった古い地図だそうです。その提供頂いた地図の一部を紹介させて頂きますm(__)m
※「ライフ」と書かれてるところに、バッティングセンターと記載されていますね。主が通われたバッティングセンターです!!!

一昔前のバス停(でも竜二の頃よりは新しいでしょう)今はもっときれいになってました。とのこと
(MIさん談)
餃子の王将、釣銭のエピソード
関西にお住いのMIさんに教えて頂きました餃子の王将のエピソード!!!



餃子の王将があった場所は今はスポーツセンターです。元銭湯のあったところを過ぎて、公園前のところ。洋食屋「サラリーマン」より少し先。ここに来ると、「ここまで50円を返しに来たんだ・・・」ってしみじみ思ってしまいました
(MIさん談)
総裁先生の正直なお人柄が伝わるエピソードですね・・・・
坂本龍馬お龍結婚式場跡の石碑

車中からパシャリ!京都は坂本龍馬ゆかりの地でもありますね。
・・・・・・
坂本龍馬とお龍の「結婚式場」跡の石碑は、京都市東山区三条通白川橋東入南側(青蓮院の旧境内・金蔵寺跡)にあります。元治元年(1864年)8月初旬、二人が内々で結婚式(内祝言)を挙げたゆかりの地として、2009年9月に京都龍馬会が建立しました。
・・・・・・・

近江屋事件

4月、河原町から詩仙堂に向かうバスに乗る前に、その近くにあった近江屋敷をMIさんが撮影♪
※近江屋事件は、幕末の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に坂本龍馬と中岡慎太郎が京都河原町近江屋井口新助邸において暗殺された事件のこと。

坂本龍馬といえば・・直子ですね|д゚)
短詩型・挌はいく 神は詩う・・・・・・・
46 「竜馬」も食べた鳥鍋 二百年の味 遥かなり 2022・10・13
✩創業二三四年とか。鶏ガラ三日煮込みは、やや過ぎたり。
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龍馬が愛した軍鶏鍋

三条大橋
小説『永遠の京都』の表紙は三条大橋

✔三条大橋の擬宝珠刀傷跡・・・・
三条大橋西側から二つ目の南北擬宝珠に刀傷があります
これは池田屋騒動のときについたのではないかといわれており、現在でもはっきり見てとれる刀傷です。

幕末ファンも注目するスポットなのですね・・
三条大橋の牛カツ屋

お昼は橋のそばの川を見渡せる牛カツ屋があったので、そこに決めた。
映画「夜明けを信じて」のワンシーン、主が帰省すると、実家のお母さんが牛カツを作っていたので、その牛カツを食べたいと思っていたので願いが叶った。窓から鴨川が見える。
牛カツ1枚半Mサイズ2400円ロースでとてもおいしい。皆も満足していた。
(Iさん談)


小説『永遠の京都』直子の命日8月16日に京都五月送り火

2026年8月16日撮影 (Hさんより)
なんとこの日にたまたまご友人たちと旅行中だったHさんが左大文字焼きの写真を撮られていました!!(竜二が直子と一緒に観たのは大文字焼き)8月16日に観たというところがもう注目ポイントです(^^) ありがとうございます!
8月16日は直子の命日。
永遠の京都 P177・・・・・・・・・・・
君代「確かに竜二の次の年に身ごもったのよ。でも母ちゃんの仕事が大変で早産になって
しまって、1週間しか生きとらんかったのよ。」
「母ちゃんもお盆になると視えとったよ。あの子の命日は8月16日じゃけん」
そうか、妹の霊が竜二の淋しさをまぎらわし、励ましてくれていたのか。阪大医学部まで行けたら、保育器があって助かったのか。直子ごめんな。兄ちゃんの東大合格祝いで、君の使命が終わったんだね。
君代「きっとまた直子は生まれ変わってくるでわ。竜二が困った時、また竜二の前に現れてくるわ。」
竜二「彼女、いや彼女の幽霊が、きっと坂本龍馬の生まれ変わりと竜二兄ちゃんが出会うと予言しとった」
君代「意外に竜二の嫁さんになって生まれてくるかもね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三条大橋から、竜二と直子が観た大文字焼き

※以前アユハで描かせて頂いたイラストに竜二と直子の三条大橋で大文字焼きを見るイラスト描いていたのでイメージの参考になるかと思いますので掲載しますm(__)m
永遠の京都 P172・・・・・・・
直子「だから、これは直子の魔法なの。お兄ちゃん、去年の八月十六日、一人だけで三条大橋で大文字焼きを眺めていたでしょう。送り火を悲しそうに・・・。」
・・・・・・・・・・・

京都五山の送り火とは
8月16日のお盆の最終日にお盆にお帰りになられた先祖の霊を再び冥府にお送りする伝統行事です。送り火にはいくつか種類があり、午後八時が来ると先ずは如意ヶ嶽の大文字焼きが点火され、次いで妙法、船形、左大文字、鳥居と順次に灯されていきます。
(Hさんの資料を参考に説明) 資料によれば、上の画像は船形ですね!
京都に1年で8回も行かれた⁉そして革靴で大文字山に登る
・・・・・・・「小説『永遠の京都』余話P87-88」
大文字焼きの山を革靴で登らされましたよ、本当にもう。(中略)京都はずいぶん行っていますよ。京大卒の人が秘書のトップにいたときには、一年で京都に八回も行ったりしたときがあって(笑)。「ほかのところを知らないので」と言って、京都ばかり案内されたりしたこともありました。その意味で、京都はよく知ってはいるし、縁も深い所ではあるんですけどね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
空海と大文字焼きについて
京都・如意ヶ嶽の大文字、この送り火は空海が始めたとも言われています
小説「永遠の京都」に「お兄ちゃんが弘法大師の生まれ変わりの夢を見た」と直子は言っていますので、空海説は正しいのだと思います。
(Nさん談)
永遠の京都 P173・・・・・・・・・・
お兄ちゃん、まだ分かってないな。お兄ちゃんは私より、もっとすごい超能力が眠っているのに。直子は、お兄ちゃんが弘法大師の生まれ変わりって夢を、小さい頃から何回も見ているわ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※箱根巡礼ツアーで撮影した強羅の大文字。よく見ると「大」が分かります(笑)
箱根強羅・明星ヶ岳の大文字は、1921年に始まっていますけど、こちらは私は小学生の時に見ましたが、この年に善川顧問は生まれているので関係してるかもしれません。
(Nさん談)
永遠の京都 P179・・・・・・
虎造「修一の未来も不安定やし、きっとお大師さんが生まれ変わらせてくれるだろう。」
竜二「彼女、いや彼女の幽霊が、きっと坂本竜馬の生まれ変わりと竜二兄ちゃんが出会うと予言しとった。」
君代「意外に、竜二の嫁さんになって生まれてくるかもね。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
善川顧問先生(虎三)が、「きっとお大師さんが生まれ変わらせてくれるだろう」とおっしゃっていますね。つまり・・お大師さん(空海)の関係する大文字焼きは供養による成仏だけではなく、無事に転生(生まれ変わり)出来ますようにという祈りも込められているのかもしれません。
大文字焼きの送り火に感じる儀式や霊地(巡礼地)の霊的な意味
ヲシテ文献ミカサフミには阿波踊りについても記載されていますが、
その意味するところは祖霊との交流(再会)です。

Iさんが神秘の法に儀式や霊地(巡礼地)の霊的な意味が語られているという箇所を教えてくれました。

↑↑「そこの場所に行けば必ず会える」というような場所に縁がある場合もあるのです↑↑
ここらへん、巡礼で主を感じた方々の体感の理由がわかりますよね。
だから、聖地巡礼は「主のお気持ち」を学んで体感し、「主と再会」する霊的な儀式なのです。
巡礼をされる熱心な信者さんは、主に会いに行かれているのです。

空海がはじめた大文字焼きにみる復活思想、それはヘルメス思想の影響を受けたエジプトにも繋がるものがるのでしょうか?Iさんは神秘の法を読んで大文字焼きがヘルメス思想と繋がったようでした。
現実には、いろいろな所に存在している
巡礼で主を目撃した、感じた、という方がチラホラでているようですが、
「ヘルメス神と空海と魔法」にこう教えられています
空海 〈中略〉弘法大師は、東北でもいっぱい行脚したことになっております。「空間マスター」としては、別の所に現れることもできるし、さらには「分身の術」的に“同時多発”的に現れることもある。
〈中略〉大川隆法総裁だって、夜寝ている間でも日中でもそうですけれども、本当は、いろいろな所に姿を現して指導しているんですよ。全世界に信者がいますからね。「主よ、主よ」とか、「エル・カンターレ」とか言って祈られたら、そこに現れているんですよ。現実には、いろいろな所に存在しているんです。霊体は、“同時多発”で現れているので、それが視える人には視えるわけです。
渡月橋前の桜餅店


渡月橋


小説『永遠の京都』
・その後、渡月橋を目指す。
主が直子と行った、主がが好きな風景。「主が食べた桜餅を食べたい」と私が言い張り、また願いが叶う。そこで巡礼の法談をした。(詩仙堂の法談)
主が行かれた場所で、皆で主を想い、感じた。
・竹林に行きたかったけれど、時間がなく諦める。
(Iさん談)

天龍寺

天竜寺の鯉

永遠の京都 P161・・・・・・
二人は天竜寺の庭を抜けようとしている。
何匹かの鯉が春を満喫しているようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イデアの世界、桃源郷や神仙思想と繋がる主が感じた「永遠の京都」とは
Iさんが考察された天竜寺についてのエピソードをご紹介。
映画、『ドラゴン・ハート』に繋がっていることも分かりますΣ(゚Д゚)

昔の人は桃源郷を夢見て、真剣にその世界を求めていたのだと感じました。
調べると、琵琶湖周辺の寺院、詩仙堂、陽明園、天龍寺、地域全体から神仙思想に基づく建物や枯山水の庭つくりをし、蓬莱山と命名した山まであるので、桃源郷、イデアの世界を求めていたのだと感じました。
その元は西王母の神仙思想にあり、ホツマツタエの教えと神仙思想は宇宙に調和する生き方なので、八皇子のカの尊が中国に渡り、西王母はその子供なので、思想が繋がるんですよね。
ドラゴンハートの理解が更に深まりますね。
ラストシーンはシャンバラとは何か秘密を明かして下さった。
どの人も「不老不死の世界とは、そういう事だったのね」と驚き、何転生も追い求めてきて、ついに明かされたけど、招かれる人は少ない。
竜二だけ鯉から龍になって須弥山まで昇りつめました。
須弥山の頂きから、「シャンバラを目指して頑張りなさい、方法は伝えましたよ」と天御祖神から言われている気がします。
「天龍寺の龍門瀑(りゅうもんばく)」池の正面奥には、2枚の巨岩を立てた見事な滝石組があります。これは中国の神話・故事である「登竜門(とうりゅうもん)」を表現したものです。
中国の黄河にある峻険な滝(龍門)を、厳しい流れに抗って登りきった「鯉」は、やがて「龍」へと変身して天へ昇るという伝説です。
格はい句の鯉はこの伝説を伝えたいのではないでしょうか?
小説永遠の京都の龍が淵で〇〇という箇所とも繋がるような気がします。
龍門瀑とは
天龍寺や金閣寺などにある。ともに中国の故事にある「登龍門」の由来である鯉が、三段の滝を登って将に龍に化す様を現している。中国南宋よりの帰化僧の蘭渓道隆禅師が中国の故事にある登竜門(鯉が死を賭してまで竜になるべく努力するさま)にならって、修行僧が観音の知恵を得る(悟る)まで、努力をしなければならないことを日本庭園の形で教えている。このテーマを夢窓国師が引き継いで新しい庭園のスタイルを確立した。このようなわけで鎌倉、室町時代は庭園のメインテーマは滝だ。
登竜門の由来、竜二の名前との繋がり⁉ 鯉から龍へ
竜の〇〇の箇所はここ
滝の中央には鯉魚石(りぎょせき=鯉を表す石)が置かれ、鯉がまさに龍へ化身しようとする瞬間を象徴しています。この中国の故事を庭の石組で表現したものは、天龍寺が日本で最初(初例)とされています。困難を乗り越えて成功や高みを目指す「登竜門」の由来となった、禅の修行の厳しさや悟りへの境地をあらわしています。
この動画「天龍寺 鯉魚石」をご覧ください
京都でも最も古い日本庭園 大沢池
小説「とっちめてやらなくちゃ」P67
大沢池なんか、嵯峨天皇が、中国の洞庭湖を模して作られたらしい。一度行ってみたいわ。「鏡川竜二シリーズ」の第三巻の『永遠の京都』のクライマックス近くで、妹の直子と嵯峨野巡りの最終地点にしているところよね。
洞庭湖を模して作られたと・・洞庭湖娘娘ーーー(叫)
短詩型・挌はいく集③『神は詩う』
51 洞庭湖に似せたりという大沢池
2022・10・13


直指庵の日記に書き残した相合傘の落書き


永遠の京都 164・・・・・・・・・・
竜二「さあ、庵の日誌書いとけよ。確かに来ましたって。」
直子は、アイアイ傘に、竜二と直子を書いて悪ふざけをしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
琵琶湖の風景

NIさんは琵琶湖正心館が大好きで、何度か琵琶湖正心館に訪れているそう。
その際に撮影された美しい琵琶湖です。
巡礼と原曲研修を終えて
(Iさん)
とても楽しく充実した巡礼と原曲研修だった。
現地に行かないとわからない。その土地に残る主のバイブレーションは確かにあった。
また聖徳太子や子供達である神道の民族神との仏敵の因縁の歴史も感じた。
中江藤樹も三男でないとわかり、Nさんも中江藤樹の経典を読み返すと如来より9次元の分霊ではないかと言っていた。聖徳太子の地ならしをした方が生まれているのだと感じた。
(MIさん)
私の詩仙堂巡礼は3回。
1回目は(6月)、白い庭に一面虫がいて、心を静めることができず…。
その状況も「偶然では出ない」と受け止めたとき、その光景から学びがありました。
2回目は、支部ツアーでワイワイと、思慧までいくことは出来ず、、
3回目、竜二が行った時期と同じ頃に一人で行き、庭の景色、青い空に浮かぶ雲、遠くの鳥の鳴き声に心を浸していると、浮かんできたのが「あるがまま」という言葉でした。
そこから色々考えました。
主が住んでた街の散策でも、この場所の空気感を感じながら「ここでどんな思いで、勉強されていたんだろう?」と想像することも、貴重な体験になりました。
主と縁のある場所への巡礼は、当時の主の思いに合わせていくための奇跡の修行だと考えて、ただの観光で終わることがないよう、毎回大切にしたいと思っています。
巡礼とホツマツタヱの神々の復興

琵琶湖正心館、詩仙堂ツアーもまたホツマツタヱの神々とゆかりの深い地を巡ることと重なっていたことが分かりましたね・・・・特に藤樹神社については驚愕の連続でした。
恥かしながら私は中江藤樹のことはあまり知らなかったのですが、巡礼レポートをまとめながら祖神様の息吹を感じて感涙しました。ホツマツタヱは天御祖神精神が宿る磁場で守られてきたのだと。この地で天御祖神神道であるホツマツタヱが再発見されることの意味がここにありました。
ちなみに、直子は、藤色のワンピースを着て竜二とデートしていましたね。
「藤」というキーワードを小説に残して下さっていました。
もしかしたら総裁先生は巡礼を通して本来の日本の神々の系譜、天御祖神精神に繋がるホツマツタヱの神々の復興も重ねて考えておられていたのかもしれません。
現地の生の磁場や情報に触れることで霊的にも指導が降りやすくなると思います
総裁先生の足跡を辿る神秘がまたここにある・・・・
巡礼を通して主の愛した風景や歴史を学び、それを愛することが正しき心の探求でもあった
神が神である理由は、自分の創ったものを愛しておられるということです。自分が創った宇宙、地球、人間、生物、そしてさまざまな風景、こうしたものを必ず愛しておられるはずです。
そうであるならば、神が愛したもうものを、人間も愛するであろう、愛してほしいというのが、その願いのはずです。
新・心の探求 (旧版)P43~
主の足跡を通して、主が何を愛しておられたのか、注目されていたのかが分かります
主が愛するものを人間もまた愛してほしいというのが、エル・カンターレの願いでもあったのですね・・
巡礼レポートを終えての雑感
オシテ文字から大文字焼きととエジプトの大の字から共通すること
【日本・ホツマ的な象徴解釈】
アメ(天)
↑
ヒ・火/光
↑
人
↓
ツチ(地)
【京都・大文字】
夜空
↑

火
↑
「大」=人の形
↓

山
【エジプト】
ヌト=天空
↓
シュウ=空間
↓
ゲブ=大地
神秘の法の抜粋と共通すると感じたわ。そして、空海とヘルメスという繋がりと天御祖神
大文字焼きについて
・8/16は直子の命日であり大文字焼きの日、直子は霊からあの世に還って、
大学生になるまで竜二を見守っていて、霊としては最後のお別れになった。
そして、生まれ変わって奥さんになった。
直子自体があの世とこの世の輪廻の象徴。
・3/2主がお隠れ、3/3紫央さんの出家の日
ここも円環で、法灯
善無畏から空海の法灯
善川先生から主
・「正しい供養 まちがった供養 P90〜92」
川島温泉で父の体の手術痕、死ぬほどの大病でも生き延びてくれたお陰で、学校に行けたこと、紙一重で、父が生き延びてくれた感謝
直子が生きていたら経済的に大学へ行けたか分からない、その感謝
強羅の大文字焼きは善川先生が生まれた年から始まった。
2人の命のお陰で使命を全うする為の土台を得るチャンスを頂いた。
・母はこの世に送り出してくれた、父がピンチの時支えた力。
・父母への感謝を深め、恩返しもし、「回想の父・善川三郎」「母の教え」でも語られてる。
・直子と紫央さんへの感謝は小説と楽曲で伝えられた。
家族の縁、あの世からこの世へ送り出し、また還っていき、その感謝をお盆で表し、あの世から一時帰ってきて、あの世に送り出す。
亡くなっても恩を忘れない儀式が阿波踊りや大文字焼きなどのお盆の儀式。
大文字焼きが直子と父への感謝の象徴として、京都と強羅で大の字が輝いている気がしました。
送り火を見ながら、故人の命の繋がりや恩や思い出を偲ぶ。巡礼は神への感謝の思い、私達は同時期に生きた主への思い出を偲ぶ事も入っているけど、人間として主に感謝する行為かなと思いました。
お盆と巡礼は仏の子が親(造物主)へ感謝を捧げる愛の行為に感じますね。
一言では表せないのが、送り火や巡礼なのでしょうか?
それぞれが、偲び、また恩を無駄にしないように頑張って生きていきますと誓う感じなのかな?と私の雑感です。
京都巡礼でも感じた巡礼の順番の大切さ、聖地・四国徳島、川島町生誕地から感じよう
「ヘルメス神と空海と魔法」のここ読んでも、分霊と本仏の違いが明確で、分霊として空海はわきまえていました。だから、認識を改めて、(空海信仰中心にならないように)霊場を作り変えなければいけないということかなと。↓↓

四国88ヶ所で信仰の磁場が既にあるから、空海が偉いと無意識でも思い過ぎていたことに気付きました。つまり、あくまで空海はエル・カンターレの産婆役としての使命であって、聖地・四国巡礼はエル・カンターレ信仰を確立するという目的を徹底した上で巡礼することが重要なんだと思います。信仰のアップグレードが必要。また、経典「ヘルメス神と空海と魔法」から、今世救世主の産婆役の父と直子への感謝(紙一重で父は生き延びてくれたこと、直子の死→経済的に進学できるか綱渡)と弔いの表れが8/16の大文字焼きを強調されていることから感じられます。産婆役の方に感謝し、そこから更にエル・カンターレ信仰の霊場作りの巡礼のスタート地点に今いると感じました。
2007.10.28 不惜身命「崩れない精神を持て」(高松支部精舎)・・・・・・・・
四国が生んだ宗教家っていうのは、弘法大師空海と大川隆法、この二人しかいないんです。だから、もう二人目が歴史に名前が残るかどうかは皆さんの力にかかっているということですね。
だから、日本史の教科書にぜひ四国からは二人出た「二番目の方が偉かった」ということを書いてもらうようにどうか頑張っていただきたいというのがささやかな希望ですね
幼少時よりやはり弘法大師さん信仰というのが四国は根付いておりますし、私の実家の方もお寺は真言宗系ですので、法事もその他も真言宗系の法事を見て育ちました。
一番昔の記憶、私が持ってる記憶はどこかと思って今考えてたんですが、三歳ぐらいの記憶があるんですけど、多分高松だと思うんですよね。記憶で残ってるの、この近所だったと思います。両親に連れられて高松付近で何か船に乗った記憶があるんです。一番古い記憶で三歳前後だったと思うんですけど、船に、渡し船か何か観光船がちょっとわからないんです。
何か船に乗って「金比羅山」なんか登った記憶みたいなのが一番古い記憶としてなんかあるんですよね。ですから、霊場として新しい霊場として、四国を作り直す必要があるのではないかというふうに思っております。ですから、皆さんの今後の精進を強く願っている次第であります。
このように、主は私達信者の今後の精進を強く願っておられます。楽曲や原曲、小説も、聖地巡礼をするときの助け舟として出されていると、主に問われている気がするのです。
主のお気持ちを知りたい、そうした純粋な気持ちがあるのかないのか、そう主に問われている気がします。原曲を聴いて、もっと主を感じたくて、知りたくて、巡礼しに行きました。
巡礼の順番もとても大切で、京都へ行ったときも、やはり生誕地から始まるのが大切だと思いました。
京都は第二の故郷です。第一の故郷は四国徳島です。主が育った環境、川島に主の心象風景やイデアがあるのです。やはり、はじまりの徳島からみないと、エル・カンターレのことが分からないと感じました。
追記1

NAさんとTIさんが訪れたときの写真
竹林が美くしい。
追記2 京都大原三千院


ガイドのI講師が話していた、主が子供達を連れて行ったところは、三千院です。
素晴らしい庭園で、詩仙堂のように心を澄まして感じられるものがあると思います。
次京都に行く時は、ここに行きたいと思っています。
主は子供達に「心とは何か」伝えたかったのかしら…
(Iさん談)
永遠の京都 P60・・・・・・・・・
叔母たちを連れて、大原の三千院も訪ねた。苔庭がきれいだった。向いの茶店で、団子と甘酒を頼んで休んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お礼
聖地巡礼レポートをまとめるにあたり、琵琶湖正心館、精舎講師などの職員の皆様、ご協力頂きましたIさん、NIさんをはじめとする京都、詩仙堂巡礼メンバーの皆様&地元にお住いの法友の皆様に心より感謝申し上げます。
※また新たな情報が入ったりしたら更新するかもしれません。
祈り
余談
私がなぜ巡礼レポートにホツマツタヱのことも書いているか、
それは護国のために命をかけて戦って散っていった方達の魂のためでもあるんですよね。
日本の神々が実は妖怪でレベルが低かったとガッカリさせてはいけません・・・
主の教えとホツマツタヱを解明して繋げれば、天御祖神からはじまる素晴らしい神々の系譜や文明の高みや教えがあったことが分かりますし、造物主信仰の国だということも分かるのです。妖怪の乗っ取りで間違った歴史が伝えられてしまっただけ。ただ、偽物に洗脳されてしまった私達にも自己責任は生じます。ですから、しっかり私たちが学び、真実の愛国心を取り戻し、回心することでその様子を見ている先人達は喜ぶと同時に誇りが復活すると思うんですよね。それが護国にも繋がると思う。

人生ノート P80
本当の別れとは、時間や空間の隔たりをいうのではない。
それは一つの存在が他の存在を忘れることだ。
太古から日本の地で育ててもらいながら、その大恩を忘れ去ろうとしている人達が沢山いる。そしてこの奇跡の時代にエル・カンターレが天御祖神でもあられることを開示して下さった。これは大変なご慈悲。もう創造神の御名と波動を忘却してはならない
天御祖神の降臨
我が名は、天御祖神。
この名を知らぬ日本人、
これから在るべからず。
世界に知らせよ、
我が名と力を、
我が栄光を、この国から世界に弘めよ。
我は、天の下で、輝ける永遠の存在であるのだ。
大和に誇りを伝えし者。

